【彷徨える自分の心と向き合う】−11−

皆さん、おはようございます。


杉田水脈政務官の障害者への差別発言を聞いて思い出したことがありました。子供達が小学生の頃の運動会で小学6年生が翌年入学する子たちと競技をするために入場した場面でした。一人の知的障害児と見られる子が全身で喜びを表現しながら入場するのを見ました。生まれ故郷に帰ったときに痴呆だった祖母が私を満面の笑みで私を迎え入れたときは正直、気持ち悪っと感じました。でも、障害児の姿を見てはっきりとおばあさんは自分を一愛だとわかっていたんだ!とわかりました。思わず号泣してしまいました。障害児の姿、存在だけで私も祖母も救ってくれたのです。家族や先祖の魂は浄化されたと思います。心の部分はなかなか数値化できません。数値だけならAIが生産性を達成してくれる時代がくる気がします。でも、人の心を救えるのは真我、愛しかないでしょう!この頃は子供達を通じて日常で真我を深めていました。当時、子はかすがいという言葉がよく口に出ました。この頃、すでに子供達と魂の継承を交わしていたのかも知れません。今、大霊団瞑想図でその全様が顕されている気がします。一番苦しんでいた時期から必死に佐藤先生のもと、真我を深めていました。救われたい一心でした。その頃から一貫していたのは家族大調和でした。たぶん、すでに調和した世界にいる気がします。ただ、まだまだ腑に落ちた訳ではありません。こんなもんじゃない!そういう意識が佐藤先生とのご縁を通して世界にも広がって行ってくれているのかも知れません。もちろん、生育やお義父さんが大霊団の一員となって一緒にです!


皆さんはいかがですか?体験や気づきがあれば、ぜひ、コメント欄で教えてください。


木村一愛