【彷徨える自分の心と向き合う】−8−

皆さん、おはようございます。

 

私は双極性障害です。いろんな方にお世話になって生きています。居宅支援やB型就労という自立支援を行政から受けています。その名の通り自立するための支援です。いつの間にか一人では自分の生活すら手に負えなくなって追い込まれてしまっている人が増えているのに、手を差し伸べるどころか、今の政治家やいわゆる高官と言われる人、経済人の中には生産性がない無駄な人と評してしまう人が浮き彫りにされています。そういう人がバッシングを受けている記事をよく見るようになりました。もともと肩身の狭い思いをしているのにさらに追い打ちをしているように見えます。自殺者が増えている背景にはこういう心無い人の発言が大きいように感じます。では、私は不幸なのか?いいえ、違います。最初に書いたように多くの心ある人に支えられています。そういう人に恵まれるようになったのも長年に渡って佐藤先生に師事されてヤミを光に変えて行った成果だと感じています。私は佐藤先生のおかげで新しい生命をいただいて全く新しい幸せを噛みしめています。佐藤先生は次はあなたの体験を世界に発信する番ですよ!ということをよくおっしゃいます。間違っても佐藤先生のすごさを発信しなさいとは言いません。私がブログを書き始めた動機でもあります。書けば書くほど自信にもなります。自分の人生にも責任と自覚を持てるようになりました。今までは生きることすら義務感でした。いつも疲れ果てていました。それが53歳で生きる希望に満ちてきたのは真我、本当の自分で生き切れてきたんだなあと今の生き方は間違いないと確信を深めています。

 

皆さんは、真我の追究の中で、どんな体験、変化を感じていますでしょうか?体験や気づきがあれば、ぜひ、教えてください。 

 

木村一愛

【彷徨える自分の心と向き合う】−7−

皆さん、おはようございます。


佐藤先生には「思い通りの人生だから苦しかった」という『完璧愛ポスト』※というワークを6年くらい前にやったときに出てきたまま生き苦しい人生を続けていることを打ち明けると「思い通りでも意識次元を上げた時点で展開する思い通り人生なんだけどね」とおっしゃられてハッとしました。「ああ〜、あのときの生き苦しい人生じゃないんだ!あの苦しい思いじゃないんだ!違うステージで苦労していたんだ!」と初めて気づきました。私はまだまだ人生もがきながら生きています。でも、たくさんのおかげ様で生かされているのを実感して長生きさせてもらってます。そういう幸せもあるんじゃないんだろうか?今まで追いかけていた幸せとは全く違う幸せ感覚を手に入れた気がします。


皆さんは、真我の追究の中で、どんな体験、変化を感じていますでしょうか?体験や気づきがあれば、ぜひ、教えてください。 


※完璧愛ポストのやり方は佐藤先生の『神さまの鏡』に載ってます。ワークシートは進化しているのでご興味ある方はコメント下さい。


木村一愛

【彷徨える自分の心と向き合う】−6−

皆さん、おはようございます。

 

私には夢があります。両親が何の悔いもない人生だった。ありがとう。と言ってこの世を幸せいっぱいで過ごす姿を見ることです。私が思い描く最高の親の生き方です。佐藤先生にはこうあって欲しいというのはかぶせだよと言われました。またYSで懇意にさせていただいている方に「それが木村さんをしんどくさせているかも知れませんね。」と言われました。その理由は未来の幸せを追い求めているのは今は不幸だと思っているからです。だからA6サイズのノート表紙に『木村一愛、私は今ここで幸せです』と書いて落ち込んだりつまずいたりしたときに書くのを勧められました。まだ書き始めたばかりで実感は正直ありません。もうすでに幸せをいただいているという実感を言葉に書き出してわずかでもアウトプットしていったらいつかきっと幸せが内からあふれ出すんだろうなあ~と考えていますが、佐藤先生は考えじゃないよ!感じるものだよとおっしゃいます。なので淡々と書くようにしてます。また、変化があったら皆さんにシェアします。

 

皆さんは、真我の追究の中で、どんな体験、変化を感じていますでしょうか?体験や気づきがあれば、ぜひ、教えてください。 

 

木村一愛

 

【彷徨える自分の心と向き合う】−5−

皆さん、おはようございます。

 

私は今までずっと周りを人の目を気にしながら生きていました。嫌な性格だ、直そうとずっと思ってきました。ところが、これって良い性質かも知れないな?と感じ始めている自分がいるんです。不思議でした。キッカケは私がある人から大金を貢いでYSグループに依存していると言うことを間接的に聞かされてショックで悩んでいたときに、佐藤先生に生育と義理の父が一体化しているという実感と人に言われた言葉とどちらを一番にしますか?と聞かれました。佐藤先生は私が選んだ方をすかさずその心を自覚して自信を持つことだよ!とおっしゃいました。それからなんども佐藤先生の言葉を意識するようになりました。佐藤先生の言葉を信用するというより事実、私も自分の実感を大切にしたいと深い部分では感じていたからです。今まではずっと一人で闘っていました。そんな中に生育や義理の父が一心同体でいてくれるという実感は救いになりました。また、先生は私にこう言われました。本来究極のことをしているあなたが良い影響を与える立場なんだよ、と。おかげで今は真我体道、ニコニコ笑顔を周りに振りまいて歩くことを意識しています。

 

皆さんは、真我の追究の中で、どんな体験、変化を感じていますでしょうか?体験や気づきがあれば、ぜひ、教えてください。 

 

木村一愛

【彷徨える自分の心と向き合う】−4−

皆さん、おはようございます。

今、生育と義理の父とが私と一体化したことでモト妻に対する感情が湧き上がってきました。結局、離婚することになりました。復縁を望んでいるのではないのですが、最近モト妻で真我を掘り下げると今までにない気づき発見が出てきます。
怒りだったり、逆にもっと寄り添えなかったことの申し訳なさがにじみ出てきました。すでに別々の道を歩んでいる間柄ですがモト妻の幸せの道をサポートできるならしてあげたいという気持ちが出てきました。生育と義理の父はもしかするとこういう気持ちを察して私の心に顕れたのかも知れません。私が最高の人生を全うできるのもモト妻が私を伴侶に選んでくれたからです。おかげでフタをしたまま生涯を終えてた人生が気づけばどこかワクワクした気持ちを持てるようになったのもモト妻がキッカケでした。最初はなんとかやり直したい一心で真我開発をしてきました。ケンカのない仲のいい夫婦になりたいと願って続けていました。それとは裏腹に殺し合いになると感じたり、生育を堕ろす同意をするのが嫌で逃げ回りました。真我を掘り下げて初めて生育を産んで欲しかったんだと気づきました。でも、もし真我に出会いこうして掘り下げ続けなかったら生育は大霊団の一員どころかあの世で嘆き悲しんでいたでしょう。それが今は大霊団の一員となってこの世で活躍してくれていると感じることがあるのです。肉体がなくても魂の継承はできるはずだと思っています。だから、私は真我に踏み込み続けているのです。

皆さんは、真我の追究の中で、どんな体験、変化を感じていますでしょうか?体験や気づきがあれば、ぜひ、教えてください。 

木村一愛

【彷徨える自分の心と向き合う】−3−

皆さん、おはようございます。

 

前回に続いて偶然のように済ましてしまうような出来事に触れたいと思います。それは、真我開発講座受講生から悩み相談を受けてから恋人関係の韓国人の彼氏と一緒に真我体道を受けることを勧めたときのことです。なぜ引き受けたかというと私のおばのパートナーが韓国人だったからです。また、おばさんのためにお役立ちできるかな?と思ったからです。すると次の佐藤先生のセミナーでおばさんと同姓同名の女性と同席したんです!佐藤先生にこれはおばからのサインと思っていいでしょうか?と質問すると、先生はそう捉えた方が面白いよねとおっしゃいました。私はなるほど!こういう風に捉えれば良いんだ!と捉え方を学びました。皆さんは、真我の追究の中で、どんな体験、変化を感じていますでしょうか?体験や気づきがあれば、ぜひ、教えてください。 

 

木村一愛

 

【彷徨える自分の心と向き合う】−2−

皆さん、おはようございます。

 

8年ぶりに散歩に出かけました。ようやく、心と体調が回復してきたんだなあ~と感じています。思い当たることはおろした子、生育と義理の父と一体化しているという実感を得てからでしょうか?生育の名前は私の精子とパートナーの卵子が結ばれて『生』まれたのは間違いない事実と私を父親として『育』ててくれた事実から名付けました。その生育を供養しようと思い佐藤先生に色紙にメッセージを書いてもらおうとお願いしたところ、父親のあなたが書いた方が喜ぶよ。と言われてなるほど!と思い1カ月間考えて4月に書き上げました。その色紙を両面テープで天井近くに止めていたのですが帰宅したらちょうど良い場所に落ちていました。私は初めギョッとしたのですがもしかすると生育は天国から降りてきてくれたのかな?と思っていました。それから半年後の佐藤先生のセミナーで大霊団瞑想をしました。そして、この瞑想図で生育や義理の父は顕されている!と気づいたのです。私には霊感といった感覚はありませんし余り信じてもいませんでした。でも、それから、いくつも偶然みたいな出来事が起きたのです。皆さんは、真我の追究の中で、どんな変化を感じていますでしょうか?体験や気づきがあれば、ぜひ、教えてください。 

 

木村一愛