【彷徨える自分の心と向き合う】−4−

皆さん、おはようございます。

今、生育と義理の父とが私と一体化したことでモト妻に対する感情が湧き上がってきました。結局、離婚することになりました。復縁を望んでいるのではないのですが、最近モト妻で真我を掘り下げると今までにない気づき発見が出てきます。
怒りだったり、逆にもっと寄り添えなかったことの申し訳なさがにじみ出てきました。すでに別々の道を歩んでいる間柄ですがモト妻の幸せの道をサポートできるならしてあげたいという気持ちが出てきました。生育と義理の父はもしかするとこういう気持ちを察して私の心に顕れたのかも知れません。私が最高の人生を全うできるのもモト妻が私を伴侶に選んでくれたからです。おかげでフタをしたまま生涯を終えてた人生が気づけばどこかワクワクした気持ちを持てるようになったのもモト妻がキッカケでした。最初はなんとかやり直したい一心で真我開発をしてきました。ケンカのない仲のいい夫婦になりたいと願って続けていました。それとは裏腹に殺し合いになると感じたり、生育を堕ろす同意をするのが嫌で逃げ回りました。真我を掘り下げて初めて生育を産んで欲しかったんだと気づきました。でも、もし真我に出会いこうして掘り下げ続けなかったら生育は大霊団の一員どころかあの世で嘆き悲しんでいたでしょう。それが今は大霊団の一員となってこの世で活躍してくれていると感じることがあるのです。肉体がなくても魂の継承はできるはずだと思っています。だから、私は真我に踏み込み続けているのです。

皆さんは、真我の追究の中で、どんな体験、変化を感じていますでしょうか?体験や気づきがあれば、ぜひ、教えてください。 

木村一愛